矯正 青山について考えてみよう!

それぞれが、自分で消費する分だけのコーヒーの木を育てている間は、よかったかもしれない。 しかし、経済が発展して、コーヒーが村の外で売れるようになったら、どうなるか。
村人が競ってコーヒーの木を植えて、密集し過ぎて育たなくなる。 裏山のコーヒーの収穫は、激しく落ち込むことになるだろう。
自由な経済活動が、全体の収穫を減らしてしまうのである。 なぜ、そういうことが起きたのか。

1人ひとりの村人にとっては、一本でも多くコーヒーの木を植えることが、コーヒー豆の収穫を増やすための合理的な行動である。 2つの問題の構造は同じである。
しかし、裏山の外部不経済は、地球温暖化と違って、解決することは難しくない。 裏山に所有権を設定すればいい。
裏山が、村人の共有地ではなく、誰かの私有地であればいいのである。 裏所有者は、裏山全体のコーヒーの収穫が最大になるように、適切な本数のコーヒーの木を植えた。
コーヒーの木は、土地の養分を吸い上げて、他の人のコーヒーの木の成長を妨げる。 葉が重なり合ったら、光合成も妨げる。
1人ひとりの村人の行動が、知らない間に、他の村人に損害を与えていたのである。 この損害が、外部不経済である。
地球温暖化は、1人ひとりが必要なエネルギーを取り出すために燃やした石油から発生した二酸化炭素が、人類全体に損害を与えるかもしれない、という問題であっもちろん、裏山の所有者も、コーヒーの木を植え過ぎてしまう可能性はある。 しかし、それは、所有者にとって合理的ではない、愚かな行動である。
裏山が共有地の場合は、1人ひとりの村人の合理的な行動が全体の生産を減らしてしまう。 もし、裏山のコーヒー園の所有者が愚かで、いつになっても過剰な植えつけを改めなければ、外部不経済が意識されたのは、20世紀になってからである。
19世紀までの人は、「コーヒー園が狭くなったら、開墾して広げればいい」と考えていた。 経済の規模が自然の恵みに比べて小さかったから、環境破壊を気にする必要がなかったのである。
最初に意識された外部不経済は、工場の出す排煙、廃液であった。 いわゆる公害である。
外部不経済という言葉の成り立ちを説明すれば、「外部」は「取引の相手方以外」を意味し、地球温暖化と裏山のコーヒー園の違いは、どこにあるか。 裏山には所有者を設定できるが、地球には設定できない。
地球温暖化の問題は、「地球全体の所有者」がいないから、解決が難しいのだ。 とはいっても、愚かな地球全体の所有者が登場したら、もっと困る。

しっかりとした矯正 青山への興味を引く工夫をするのと同時に、矯正 青山説明文の親和性を高める工夫も意識すること大切です。